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たましふる大峯~神崎士郎 なっしょのないしょ~

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一年の半分を奈良の世界遺産大峯山頂宿坊で暮らす写真家神崎士郎が綴る日々のあれこれ。見たこと見ないこと……。

少年剣士参る

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その日も山上は深い霧に包まれていて、ぼくはひとりだった。
昼食を済ませて(因みにひとりのときのお昼は軽く麺類で)何となく窓越しに外を覗いてみると、白、白、白…濃密な白。手前の木々と隣の宿坊、そして参道の一部が見える位で奥の方は全く何も望めない。こんな、霧に閉じ込められて誰も上って来ないような日のことをぼくは勝手に「世界が滅んでしまった日」などと呼んでいるけど。
その時、霧の白い重なりの一角がやわらかなヴェールを幾重にもめくるように動いた。その内側からそれとは異なるトーンの白が一枚、二枚、三枚はがれるように浮き上がってくる。近づくに連れてそれらは白装束を纏った人の形を取った。こちらへやって来る。どこに入るんかな。この時間だと泊まりだな。うん?しかも腰に挿しているのは…劍?隣を通り過ぎて石段を上りかけている。
こういう場合まずは隠れることになっているんだ、それが山上の掟というやつで。予約の無い突然の客は歓迎されない。でもそれは表向きでね、ここは深山幽谷の辺境の地で宿も限られているのでどんな場合でも断ることはまず無い。人命に関わることになるかもしれないし。
ぼくはあわてて窓から離れるとモノカゲから玄関の方をそおっとうかがう。この時、実はね、何となくうちに入って来るのでは、来たらいいなあと思った記憶がある。そして案の定、彼らは喜蔵院の山門の前で足を止めると迷いもなく真っ直ぐに入って来たのだ。
それが彼ら三剣士との出会いだ。以来、毎年上って来てくれる。時を重ね、それぞれの境遇は変わったけれども、その素直な眼差しと混濁の世を潔く渡って行くんだとでもいうようなピュアな空気感は今も変わらない。会う度に自分の背筋を気持ち良く正される気がする。
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今年もふたりがやって来た。カネコくんは、刀研師の修行を積み、武道を志し、龍脈を歩いている。いざというときには良く切れそうな美剣の如き女子と連れ添い、現在は老朽化した図書館で雨風と戦い本たちを日夜守る日々である。この春、息子ゴールデンチャイルドを授かった。おめでとう。
アンドウくんは、劍を持つ手を鉄砲ならぬロケットを造る手に替え、宇宙を目指している。今回も出張先の種子島から帰った足でそのままこちらへやって来た。中心になる物、人、場所の横に居て全体を常に守っている感あり。今年はひとまわりコンパクトになり若き修行僧のようだった。道を歩く人。
そしてこの日は都合で来れなかったオダくん。責任感のある優しさの持ち主。なぜか古い木造校舎の佇まいがいつも目に浮かぶ。山を歩く人。近い内に会えそうである。
三人ともぼくとは親子程年が離れているのだが波長が合う範囲が広い。古い魂が響き合うのだろうか。寧ろ大きな年齢差こそがタイムマシンのような役割を果たし、お互いの内に未知の発見をもたらしているのではと思う。そして何よりこの大峯山こそが時間や距離を超えて様々な人間たちを同じ地平の上で出会わせてくれる場になっていると感じる。
念のため、彼らが帯びている刀は教育委員会の認可を受けているものであり、心配御無用とのこと。そして三人が劍を身に付けているのは修験道の古い形に習い信仰上の作法としてであろう。その劍の心で何を切り、どんな新世界を開いて行くのかな。

大峯山上豆知識
「大峯山」現在、地図上にも載る正式名称は「山上ヶ岳」である。
大峯は古来からの呼び名で今は信仰上の意味合いが強いと思われる。百名山に言う大峰山とは近畿最高峰の百経ヶ岳(八剣山)のことを指す。
こんな説がある。大峯の「峯」という字を上から順に三分解する。一番目の「山」は世界を表し、二番目は「久」と見て、三番目は「平」の略字と見る。それをつなげて読むと「世界がいつまでも平和でありますように」だと。納所になってまだ間もない頃、向かいの古老納所が教えてくれた。
そう言えば、修験道の勤行では必ず世界平和を唱えるね。
by tamashifull | 2011-08-26 14:49 | 宿坊暮らし

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