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たましふる大峯~神崎士郎 なっしょのないしょ~

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一年の半分を奈良の世界遺産大峯山頂宿坊で暮らす写真家神崎士郎が綴る日々のあれこれ。見たこと見ないこと……。

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トリカブトの花が咲き始めてからひと月ほど経った。
今朝5時過ぎ、薄曇りの空の下、フシギくんは柏木に向かって発って行った。4、5時間の山歩きだ。
ここは大峯山宿坊喜蔵院。ぼくはその支配人。お寺の専門用語で「納所(なっしょ)」と呼ばれることが多い。
フシギくんは、開山期の五月から九月の間、毎月泊まりに来る。そして、険しい大峰山系の道を修行として歩いて、様々な場所へ行く。鈴懸(スズカケ)という山伏スタイルで。
数年前、彼が初めて大峯山へ登拝して来た時は、スーツに革靴、手には薄手の黒いカバンという出で立ちだった。帳場の上からその姿を目にしたぼくは、いささか戸惑ってしまった。確かに、白衣や山伏姿、登山服の人々で賑わう宿坊の中で、彼の存在は少し浮いていたかもしれない。
今思えば、それは彼なりの大峯山へ参拝するための正装だったのではという気がする。フシギくんは、初登拝を前に修験道や寺院・組織について綿密に調べた上で、自分で選択して言わば確信犯的に我が喜蔵院に入って来たのだから。
数年を経た今、そんな彼だからこそ修験道界の色んな軋轢を感じながらも真摯に前向きに楽しく行者道を歩いているように見える。でも、皆さんは決してフシギくんの真似をしてスーツで登山はしないように、非常にキケンですから。
お昼過ぎ、無事に柏木下りを終えたとの彼からの連絡があった。

さて、ここで「音楽幻燈会」のお知らせです。
スライド上映×ピアノ×朗読のコラボレーション『音楽幻燈会 あめつちのうた Visual Live』
スライド写真と言葉:神崎士郎
ピアノ:七ツ谷ゆみ
朗読:金盛千裕・久保田玲奈
演目:「アナクロとモクレン』休憩「あめつちのうた』
日時:9月16日(日)15:00
場所:遊美工房・岡山県倉敷市玉島中央町1丁目12‐30・TEL.090‐5378‐6675
料金:2,500円(当日3,000円)ワンドリンク付
*席に限りがございますのでご予約下さい。*お問合せ・チケット予約TEL090‐5695‐7840(神崎)
「数年振りの音楽幻燈会です。詩(うた)と物語とイメージがピアノと朗読の奏でであなたを新たな世界へ誘います。ぜひ遊びにいらして下さい。お待ちしています。」
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# by tamashifull | 2012-09-10 00:05
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吊り橋の上から、たった今下りて来たばかりの山上ヶ岳の方を仰ぎ見る。きょうはひっさしぶりの日本晴れ。調子良く下りすぎて膝の辺りが少し痛い。
登山口の女人結界門を抜けてすぐ、石像が立ち並ぶ前を通り、森の中へ入り、山上川に沿って続く自然研究路を歩いて来た。至るところで山からの湧き水が流れ、苔むした岩根、濡れた石畳…と涼やかな木漏れ陽の道を進む。
ひとひら、ふたひら…赤ちゃんの掌ほどの大きさの蝶が何頭も川から森へと行ったり来たりしながら石畳を浸す水を吸っている。さっき見つけたルリコガネの風合いにも似た、光沢のある玉虫色の羽根が陽光に紛れて群青色の空に溶け込みながら飛び交っている。
どっどっどっ…一定のリズムを刻む水音が近くなる。かじかの滝だ。言われは極めて原始的な淡水魚の名から来ている。現在も棲息しているのだろうか。小さな滝だが滝壺のきわに石灰質の岩床が拡がり格好の休み場となっている。
滑りやすい岩場の道を抜け、小橋を渡り、林間の小道を出ると、この吊り橋のたもとである。ここにはコーモリの窟(いわや)とトーローの窟が在る。前者は「蝙蝠」の巣になっていること、そして行者様がお「籠り」になった場所ということから、また後者は山伏のうしろ姿がカマキリ(古い言い方で螳螂=とうろう)に似ていることからその修行(胎内くぐり)する場所として名付けられた。トーローの窟の中は入口から出口へと細く曲がりくねっており、手元の灯りを消すとぬばたまの闇である。
山上川を離れて温泉街の方へと向かう。表に薪を積み、大きな樹に抱かれた山荘風の小屋が在ることに気付く。今まで何度も通っている道なのに意識したことが無かった。季節の折々に隠れ人が暮らしている風である。前の原っぱにポツンと離れて錆びた物干しのようなものが見えるのがかわいい。
道を逸れて空地を横切ると角っこにこんもりとお稲荷さんがある。その時、前方から5、6人の行列がするするとこちらへやって来るのと出会う。その人たちはお稲荷さんの杜へと吸い込まれて行く。と、中のひとりの女性がぼくに向かってお辞儀をされた。ぼくも釣られてペコリと返し、近付いて見るとよく知っている神橋(かんばし)さんの奥さんだった。最後尾に御主人もいらっしゃって言葉を交わした。神橋さんは十数年前まで登山口から十分程上ったところの一の瀬で茶店を開かれていた。また山上へ運ぶ荷物の世話をされていた関係もあり面識があったのだ。きょうは月に一度の祭礼の日で、表通りに面した稲荷神社の横で町内の有志の方々が出店をされていると言われる。ぼくは何だか見知らぬ土地に迷いこんだような気持ちで細い路地を抜けて表へ出た。
なるほど道沿いに白テントが張られて在り、覗いてみると顔見知りの人たちがたこ焼きやら焼き鳥、アイスコーヒーを造って販売されていた。西崎さんは先年まで山上の龍泉寺で務めていらっしゃって、いつもお世話になってばかりだった。赤井さんは長らく洞川の中学校の校長先生を勤められて、現在は稲村ヶ岳の山小屋を守りされている。たこ焼きを注文して談笑していたら「シローサーン」との声と供に奥さんもいらっしゃった。赤井家にも御世話をかけっぱなしである。「山」という字は、左右末広がりに伸ばしていったら、「人」という字になる。想えば、大峯山を通してこれまでかけがえのない縁をどれ程頂いて来たことだろう。ありがたいと思うばかりである。
お赤飯のオムスビやジャガイモをお弁当にと渡され、赤井さんがバス停まで軽トラで送って下さった。深い森の奥から染み出たばかりのとろりとした水が小石の上を滑り下りるように戻ってゆくトラックにペコリとお辞儀をしたぼくは、ふと違和感を覚えた。手にしていた筈のおにぎりの包みが無い…。あれ?確かに持って助手席に乗り込んだよね。指先にその感触が残っているような感じがある。あれれ?おかしいなあ?待合室も見る。表のベンチも。無い!?
名水豆腐を買い求めるために旅館街まで少し戻る間も身の回りを確認したが見当たらない。バスに乗ってからも改めて見たがやはり無い。まるでキツネにつままれたような…えっ!そうかそうだったのか。お稲荷さんのお祭りだものね、あの人たちはみんな…。そう考えると、あの行列に遭遇した時からずっと不思議な胸に染みるような明るさの中にいたのだった。
[後日譚]
その日の売上は福島県南相馬で被災された人々に義援金として届けられた、と新聞記事で受け渡しの様子が写真と供に報じられていた。また、ひと月位して赤井さんにオムスビのことをたずねてみるときれいに「忘れていらっしゃいましたよ」とのこと。…なんだ、化かされていたかったなあ、とちょっとがっかり。でも、人類も遥か遥か昔には自分がナニモノだったかなんてわからないから、おキツネさんだったこともあるかもしれないしね。だから洞川のような山里の人々には記憶の底に眠るその正体が何かの拍子に仄かに香り立つことがあるような気もするんだ。
〓大峯山上豆知識「女人結界門」大峯山上ヶ岳では一千年以上前からの女人禁制という宗教的伝統を守り存続維持している。そのため山上ヶ岳周辺には「是より女人の入山を禁ず」という門が立てられて在る。 現在では天川村洞川の清浄大橋登山口、レンゲ辻、五番関、そして奥駈道中の阿弥陀ケ森の 4ヶ所である。そこから先は女性の方々には遠慮して頂いている。でも時々男性連れで結界内をあるいていらっしゃることもあり、そういう際には速やかに下りてくださるようにひたすら説明してお願いするだけであるが。これは差別などでは決して無く、歴史という永い時間の中で培われて来た「自然=人間」へのある信仰心(精神)に拠るところであると御理解してもらえたらと考える。このことについてはまた折に触れて話すことになると思うけどね。
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# by tamashifull | 2011-11-30 18:29
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秋晴れのある日のこと、岡山表町の和紙(ワガミ)屋梅田さんに久し振りに柿渋を買いに行ったら、頭の天辺に筆先が生えているダルマさんが現れて、ぼくはあっという間に通りを渡って斜め向かいのカフェまで転がされて行ってしまった。
そこは「オイリア」というお店で、高い天井に白い壁が映える細長い空間に大小とりどりの深い緑の瓶がたくさん並んでいる。それらは全部オリーブオイルで、イタリアのアーリア州から直輸入しているということ。
店主は女性で、その土地とオリーブに魅せられてこのカフェをオープンされたとか。ダルマさんの計らいでここで写真展をさせて頂くことになった。…白い壁を空色で染めよう。
「空へ歩く」「空に住む」「空から流れる」「空のありか」…空につながる写真のそれぞれから空の物語をイメージしてもらえたらと想いながら作品をセレクションして並べてみると、この白い壁に昔から掛かっていたかのようにしっくりと馴染んだ。自分でも新たに展示したような気がしない、不思議な気持ちに包まれて眺めた。まるでお客さんになった気分だった。
オイリアにはオリーブオイルだけではなく、天然酵母パン、生産者直通の野菜、やさしいスイーツ、はちみつ、高梁紅茶等も楽しそうに並んでいる。それになんといってもオリーブオイルのソフトクリームがぼくは大好物。またワインを始めにアルコール類も置いていて、仕事帰りや休日の午後に寛ぐ男性もよく見かける。女性客も二人連れ以上はもちろんだが一人客も多い。かわいいテーブル席にカウンターでの会話も心地好い。通りがかりにちょっと覗いてみたくなるね。あっ、ダルマさんも時々コロンコロンしてるかも。
〓岡山市北区表町1丁目11−1中之町第1ビル
Oigliaオイリア
TEL(086)234-5232
お休みは月曜日。
朝10時から夜8時まで開いてます。
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# by tamashifull | 2011-11-26 13:00
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台風15号で危ぶまれた今年の戸閉式も無事終えることができ、ほっとしたのも束の間、慌ただしくも五ヶ月分の後片付けを済ませ、下山の朝を迎えた。
午前5時30分、大峯山2011年最後の夜が明ける。
とうちゃん、中村さん、道仁さん、中野さん、智教さん、皆様のお陰で宿坊も立派に戸締まり出来ました。
感謝のてんこ盛りです。
そしてまた来春、戸を開けるまでゆっくり休んで下さいな、山上喜蔵院さんよ。お疲れ様です。
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# by tamashifull | 2011-10-12 23:01
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その日も山上は深い霧に包まれていて、ぼくはひとりだった。
昼食を済ませて(因みにひとりのときのお昼は軽く麺類で)何となく窓越しに外を覗いてみると、白、白、白…濃密な白。手前の木々と隣の宿坊、そして参道の一部が見える位で奥の方は全く何も望めない。こんな、霧に閉じ込められて誰も上って来ないような日のことをぼくは勝手に「世界が滅んでしまった日」などと呼んでいるけど。
その時、霧の白い重なりの一角がやわらかなヴェールを幾重にもめくるように動いた。その内側からそれとは異なるトーンの白が一枚、二枚、三枚はがれるように浮き上がってくる。近づくに連れてそれらは白装束を纏った人の形を取った。こちらへやって来る。どこに入るんかな。この時間だと泊まりだな。うん?しかも腰に挿しているのは…劍?隣を通り過ぎて石段を上りかけている。
こういう場合まずは隠れることになっているんだ、それが山上の掟というやつで。予約の無い突然の客は歓迎されない。でもそれは表向きでね、ここは深山幽谷の辺境の地で宿も限られているのでどんな場合でも断ることはまず無い。人命に関わることになるかもしれないし。
ぼくはあわてて窓から離れるとモノカゲから玄関の方をそおっとうかがう。この時、実はね、何となくうちに入って来るのでは、来たらいいなあと思った記憶がある。そして案の定、彼らは喜蔵院の山門の前で足を止めると迷いもなく真っ直ぐに入って来たのだ。
それが彼ら三剣士との出会いだ。以来、毎年上って来てくれる。時を重ね、それぞれの境遇は変わったけれども、その素直な眼差しと混濁の世を潔く渡って行くんだとでもいうようなピュアな空気感は今も変わらない。会う度に自分の背筋を気持ち良く正される気がする。
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今年もふたりがやって来た。カネコくんは、刀研師の修行を積み、武道を志し、龍脈を歩いている。いざというときには良く切れそうな美剣の如き女子と連れ添い、現在は老朽化した図書館で雨風と戦い本たちを日夜守る日々である。この春、息子ゴールデンチャイルドを授かった。おめでとう。
アンドウくんは、劍を持つ手を鉄砲ならぬロケットを造る手に替え、宇宙を目指している。今回も出張先の種子島から帰った足でそのままこちらへやって来た。中心になる物、人、場所の横に居て全体を常に守っている感あり。今年はひとまわりコンパクトになり若き修行僧のようだった。道を歩く人。
そしてこの日は都合で来れなかったオダくん。責任感のある優しさの持ち主。なぜか古い木造校舎の佇まいがいつも目に浮かぶ。山を歩く人。近い内に会えそうである。
三人ともぼくとは親子程年が離れているのだが波長が合う範囲が広い。古い魂が響き合うのだろうか。寧ろ大きな年齢差こそがタイムマシンのような役割を果たし、お互いの内に未知の発見をもたらしているのではと思う。そして何よりこの大峯山こそが時間や距離を超えて様々な人間たちを同じ地平の上で出会わせてくれる場になっていると感じる。
念のため、彼らが帯びている刀は教育委員会の認可を受けているものであり、心配御無用とのこと。そして三人が劍を身に付けているのは修験道の古い形に習い信仰上の作法としてであろう。その劍の心で何を切り、どんな新世界を開いて行くのかな。

大峯山上豆知識
「大峯山」現在、地図上にも載る正式名称は「山上ヶ岳」である。
大峯は古来からの呼び名で今は信仰上の意味合いが強いと思われる。百名山に言う大峰山とは近畿最高峰の百経ヶ岳(八剣山)のことを指す。
こんな説がある。大峯の「峯」という字を上から順に三分解する。一番目の「山」は世界を表し、二番目は「久」と見て、三番目は「平」の略字と見る。それをつなげて読むと「世界がいつまでも平和でありますように」だと。納所になってまだ間もない頃、向かいの古老納所が教えてくれた。
そう言えば、修験道の勤行では必ず世界平和を唱えるね。
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# by tamashifull | 2011-08-26 14:49 | 宿坊暮らし